石川智晶「僕はまだ何も知らない。」レビュー
「Vermillion」
アルバムオープニングを飾るのは、ストリングスと打ち込みの絡まりが見事なミディアムテンポ曲。僕らは、朱き「血」を体内に宿し、どこまでも生きていこうとしていた。その先の行方は暗示されているに過ぎないので、どう受け取るかは自由だと思うのですが、その透徹とした世界観を、透き通る独特の声質で歌うことで見事に表現されています。
「ロストイノセント」
ピアノとストリングスが印象的なバラード。生と死を暗示させるような世界観の中で、大切なものを失ってしまった主人公。それは「君」なのか、それとも僕の中にあった何かなのか、それとも「僕」そのものなのかは定かではないものの、サビに出てくる「HEAVEN」が、やがて彼らを包んでいくのでしょうか。キリスト教会的な世界が色濃く出ている作品。
「アンインストール」
多重コーラスのイントロが印象的なアップテンポ曲。真実が全く見えない不条理な世界。主人公たちはそんな存在全てを「アンインストール」して、なくしてしまいたくなりながら、あくまでも強い振りをして生きている。一見これはバーチャルリアリティーの中の世界観と捉えられなくもないですが、ある意味私達自身もそんな中で生きているような気がしてならないのは私だけでしょうか?あくまでも世界に寄り添うように歌うのが印象的。
「ミスリード」
力強い打ち込みとギターが印象的なアップテンポ曲。この詞の世界は、ある意味アルバムの中で一番不条理で何が答えなのか分からないような感じです。その中で、「ミスリード」しているのは君なのか、それとも主人公なのか。様々な想像を膨らませることが出来るように仕上がっています。
「美しければそれでいい」
シングル版と比べると、ストリングスのイントロが新しくついたものの、基本的にはそれほど変わらない印象を抱きました。詳しくはシングルのレビューを参照してください。
「涙」
ピアノの音色が哀しくも美しいバラード。歌詞は、他の曲と比べるととてもシンプルで、主人公の心情が色濃く出たものになっていて、すうっと心に染み入ります。抑え目で丁寧な歌唱が却って思いの深さを表すようで、切ないですね。
「僕の空に季節はずれの雪が降る」
バンドサウンドに乗ったアップテンポ曲。季節はずれに降る雪というのは、一見嬉しいような気がしますけど、ようやく咲いた花に対しては、いきなり寒さが訪れて厳しいものです。様々な過去が主人公の心を縛り付けている中、無垢の象徴ともとれる白く眩しい雪が降る。それはそれで、心が動かないわけではないのでしょうが、だからといっていきなり「君」に近づいていくほどの力はない。そのいじらしい様は、とても人間味があると思うのです。
「house」
詳しくは「美しければそれでいい」のレビューを参照していただければと思います。おそらく家の庭か何かがこの歌詞で言う「楽園」なのでしょうか、夏の時期が過ぎて、徐々に枯れ始めていく様は、ある意味小さい子供たちにとっては大切な「家族」の1つなのかもしれません。その消失の代わりとして入ってくる「ハムスター」が、今度の家族になることで「笑顔が戻るだろう」としているようです。いつか大人になるにつれ、なぜ万物は生きて死ぬのかということを考え、理解しようとするその間まで、「もう少し待っていてよ」と、諭すような歌詞は、なまじの人には書けないと思います。
「Little Bird」
ハープとチェロが美しく奏でられるスローナンバー。まだ小さい小鳥の「あなた」が、いつか大人となり、まだ子供を産んで育てていく。そんな生命の営みを優しい目で捉えた歌詞と、母性を思わせる丁寧な歌唱とが合わさって、荘厳な景色を作り出しています。
「水槽の中のテトラ」
アコーディオンの音が印象的なアップテンポ曲。どことなく自分のことが好きになれないような主人公の「僕」が、飼っている「テトラ」の生きる様を偶然ながら再発見。「テトラ」は自由に水槽の中を泳ぎ回る強さがありながらも、一方で「僕」がきちんと世話をして育てないと死んでしまう儚さがある。そんなことに気づけたことで少し自分の心が動くことを、否定せずに受け入れる姿はとても人間らしいと思うのです。
「アイルキスユー」
ピアノとオルガンで奏でられる荘厳なバラード曲。何層にも重なる歌声のハーモニーは教会音楽のような汚れのない美しさがあります。おそらく、「君」は亡くなったと推測出来るのですが、「僕」はまだ生きている。だから、いつか「僕」がなくなるとき、そのときにまた出会い、「I'll kiss you」という約束を果たすのでしょう。
全体としては、一見地味で穏やかな作品に見えなくもないですが、その歌詞世界のほとんどは、実はとても冷静な俯瞰に基づいています。特に冒頭5曲に顕著に見られるのですが、「僕」と「君」という人物を登場させて作品世界を作り上げつつも、石川さん自身は、そのどちらに重きを置いて歌うこともなく、あくまでもその世界の語り部に徹していて、彼女自身の心情がそのまま出て来る事はないのですね。主人公になりきって歌う曲はJ-POPだととても多いだけに、その辺りが実は石川さんの真の凄さではないのかと私は思っています。
アルバム終盤の流れが前半部分に比べると少々落ち着きすぎてしまった印象があるので、その点だけが個人的にはマイナス部分ではあるものの、それを差し引いてもなお、これだけの作品を作り出せると言うのは素晴らしいと思わずにはいられませんでした。


comments
上手くいえませんが、彼女は、作り出した世界から一歩引いた所にいて、冷静かつ緻密な計算の元にその世界を表現されている感じがします。
いえいえ、私もこれはきちんとレビューしたかったので、読んでいただけると幸いです。
彼女の曲の世界は、ある意味で俯瞰した視点から書かれているように思いますね。